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January 31, 2005

先端である事。

15497a19.jpg29日/東京芸術大学美術学部先端芸術表現科卒業制作展
『Project the Projectors 04-05 横浜』
   BankART 1929 Yokohama
   尖っていなかった。
30日/金堂平成大修理記念唐招提寺展
   東京国立博物館
   東山魁夷は好きでない。いらん
   四天王は良かった。
   親と子のギャラリー盧舎那仏のひみつの製造過程は良かった。
   芸大大学院研究科文化財保存学彫刻研究室の学生が模型を制作
30日/浅草浅草寺生まれて初めて行った。人形焼きは御徒町の方がうまい。


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January 29, 2005

理解不能。

所ジョージと時もそうだが何故「さん」を付けるのかが分からない。それは起訴されない軽微な問題だからか?
こちら>>■

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January 28, 2005

es。

被験者は刑務所に仕立てられた中で看守と受刑者に分けられる。
彼らはごく普通の人々だ。
しかし限られた空間の中で相互作用により人格がむき出しになる様子は恐ろしい。

空気が醸成するのではなく、規律、約束の類いがそれに忠実であろうとすればなお人が本来持っている残虐性を引き出すのだ。
如何に平穏な日常が大切なのかを知らしめてくれる。

恐いのは、何故自分がその行動をとったのか説明しきれない事ではないだろうか。
一見、健全に見えた人間ですら憎悪にたぎる感情を抑制できなくなる。
また過ちに気づきながらもその場の空気に負けてしまう。
実話に基づくとはいっても映画だから脚色しているが、実は同様の実験がつい最近行われた。
精神に異常を来した被験者がそうそうに現れたため中止になったが、恐らくこの世の中で一番恐ろしい存在は「善人」だろう。
そして人は「暴力」を否定できない存在なのだ。

対処としては、自分の持つ「暴力性」をまず肯定する事ではないだろうか。
決して人を超えた存在に自分を預けてはならないと思うのだよ。

人を暴力に駆り立てる最大のキーは「侮蔑」。
映画では「ナチ!」であった。ドイツ人が最も忌み嫌う汚れた過去に他ならない。(ドイツ映画)

おっと、もう一つあった。
「お前は臭い」。
挑発だが実は規律を重んじ潔癖な看守役は臭くない。
だが潔癖である筈の自身が傷つけられたと錯覚する。
自我が未発達な人間が陥り易い罠だと言える。
裏を返せば自分に自信がない為に規律を重んじて来たと考えられるが、一般社会ではやはり普通の事なのだろう。
挑発者はまったく反対の性格に設定されていた。
悩む事、自由である事。


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言わんこっちゃない。

何考えているんだか?まあ普通は院政だと思われますな。
良識ある番組作り宣言、皆様に支えられている発言が空々しい。

やる事が陰性だ。辞任を伝えるニュースキャスターすら、お前も一枚噛んでるんだなと思いますね。72億が100億、200億になっても知らんぞ。NHK、何にも、ならない、改心。
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蛮国と蛮人。

誇りという鎧を纏って、それがすでに綻びて何の役にも立たぬ事を知りながら、
それでも殺しあいを続けなくてはならないのか。

毛唐の格好の餌食になっているのが分からないのか。
なぜ子供たちを巻き添えにしなくてはならないのか。
明日の可能性を自ら破壊している事に気がつかないのか。
宗教とはかくも醜い存在なのか。
信じる者は殺される。
愚かな事だ。


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January 27, 2005

EUは何故対中国武器輸出を急ぐのか。

ライオンの牙を増やそうってのか?身の毛もよだつ毛唐の獣は片手に花、もう一方には人殺しの道具を持って平然としていられるらしい。

銃は人を殺さない、人が銃を使って人を殺すといった屁理屈を述べる輩は非合法組織と何ら変わらない。
自分たちが儲かれば他人は何人死んでも構わないなんて悪魔そのもので、反吐をもよおす臭さは死臭じゃないのか。
そんな奴らに限って死ぬ時にマイゴッドなんて虫の良い事を言うのだろうね。
先だってのTUNAMIで被災しすべてを失った漁師が「神の存在を疑う」と言ったらしいが、EUの死の商人達はきっと「神は自分たちのためにある」と思っている事だろう。
始めから存在等していないのを知っているからこそ確信して言える台詞だと思うよ。
信じたふりをされる神が哀れで気の毒だ。しかし笑える。

ところで話は変わるがこれは、んーどういう事かな?
こちら>>■

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静電気。

昨年の暮れに2回、今年はまだ一回。例年よりはるかに少ない回数なので、体質改善でもしたか着るものが変わったのか思い当たる節もないので不思議だ。

静電気は体が「帯電状態」の時に起こるが、その時にプラスイオンが増え血液の粘性が高まり血糖値を上げてしまうらしい。
あの不快なビリっは交感神経を刺激しアドレナリン分泌を増やしビタミンCやカルシウムが減少するらしく、抵抗力減少、苛立、肩こり、動脈硬化まで引き起こす要因となるらしいから恐ろしい。
まあビリっは少ないに越した事はない。創造に刺激は必要だけどね。静電気はいらないね。


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January 26, 2005

千六屋TRIALBlog

693cacd6.gif2001年からお世話になっている千六屋TRIALさんがURLを変更されました。
Blogからメインコンテンツ「現実逃避と暇つぶしのFLASHゲームサイト」ゲーム感覚のイントロから入ってください。新URLは
こちら>>■

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妻への愛情表現。

なるほどー。分かるなあ(^o^
妻への愛情表現

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空気の研究。

呼吸の空気ではなく、その場の空気の空気。
理論よりも感情が優先される恐ろしさが書かれていますが、多少古い本の為、日本人固有とあるのは間違いのような気がします。
何故そうなったのか分からないという類いの話は世界中にありますもの。

しかしただの石くれに霊が宿ると考えたり自我が未発達な人の場合は空気に感染し易い確率が高そうだと小生は思います。
その場から逃げるか、もしくは誰よりも先に発言する事が肝要かなと思います。
物語が理不尽とか不条理とかに流れる場合、当事者間では如何様にもならない。
がんじがらめで動きが取れない。
理由を述べる冷静な語り手が必要になる。
多くは観客がそれに相当する。
その場を俯瞰する行為が必然である事が大切なのです。
「ああ、何故そこで左に向かわず右へ行くんだ」というような感じですね。
左に向かえば破綻が待ち構えているのにを想定して物語は書き手によって作られるのですが、小生はそこがどうしても未熟であって自分だけが理解してしまう。
困った事だ。


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役人ってこんなもんなの?

平時は誰にでも出来る事しかやらず非常時にはまるで役に立たない。ああだから「役」人か?本当にいざと言う時に日本人の財産と生命を守れるのか外務省。簡単な事を難しくしていないのか(^_^;
読売

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東京芸術大学大学院映像研究科映画専攻

横浜馬車道の港寄り(MM線馬車道駅側)の旧富士銀行横浜支店はしばらくBankArtが使用していたが今年4月から東京芸術大学大学院映像研究科映画専攻が開講される。
監督、脚本、製作の競争率は13.7倍だと言われている。
たけし効果か。
こちら>>■

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January 25, 2005

抱える件数に比例して

抱える修正も細かく多く思考も分片化する。
あらゆる方面に不義理を重ねる結果となる。
困った。眠い。この類いの疲労は苦手です。


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覚え書き。

「私達はそれに似ている。大丈夫よ、私達は人間を苦しめない。静かに置き換わるだけですもの。免疫力亢進作用のあるメラトニンを分泌させながら生きながらえさせる。何故そんな事をしてまで私達が生き続けなくちゃならないのかは私にも分からない。分かるのは私がたった一日女になった後にあなたが別の人生を歩み始めると言う事だけだわ。」

「私を抱いたからと言って必ずしも私を手に入れたとは限らない。あなたの所有欲がただそう感じさせるだけ。今の私が明日も同じだと思う事はあなたの勝手だが、信じる事は無駄な事だとたった今私は断言できるわね。ひとつ言える事はあなたが私と出逢って私の肌をまさぐり肉体の隅々まで知り感じる部分を探し出せたとしてもそれはあなたの欲望が生み出した幻想なのよ。あなたがその中で快感を得られたとしてもそれは得た物ではなくあなたがあなた自身に与えた自己完結に過ぎず如何に甘美な物だとしても何もあなたに約束しないし拘束しない。でも、」
「あなたは束縛を得ようと考えた事はさっき私に行かないでくれと言った事で分かるわ。その言葉が私を拘束しようと儚い私に向かってつまりあなた自身に向かって発せられたシグナルなのよ。あなたは幻想の中でしか生きられない存在である自分を認めたくないのよ。だから夢を追い求める。夢に縋る。だけど、」
「それは間違っている。プラトンのパイドロスでソクラテスは私達の事をこう言っている。すなわち彼ら蝉達の種族はミューズが誕生しこの世に歌という物があらわれるや、楽しさに我を忘れ食べる事も飲む事さえ忘れてただ歌い続け自分でもそれと気が付く事なく死んで行った人間の末裔であり、この世に生を受けると、何一つ身を養う糧を必要とせず、生まれたすぐその時から死んで行くその日まで、食わず、飲まず、ただひたすら歌い続けそして死んでから後は、ミューズにこの世の誰がミューズを敬っているかを報告する存在であると。」
「あなたが私と出逢ったと言う事は、あなたには私が見えたと言う事で、あなたは私の報告の義務の対象となり得るのよ。だけどあなたはミューズなんか信じない。あなたはあなた以外の存在を今までもこれからも信じないもの。だってそうでしょう。あなたはあなたの中でしか生きられない。あなたはあなたが作り出した物にしか価値を認めないからよ。いいえ拒否なさるのは当然だわ。人間は全ての価値観を自分を基準に置きたがる。信じない存在を信じる事は軸を変える事になりかねないからその不安が先に立つのよ。あなたが他者を認めないのは振れる自分が怖いのよ。愚かな事だわ。」
「つまりこういう事よ。あなたが変わっても他人はあなたが変わった事に頓着しないのよ。あなたは社会に影響を与える事を怖れているけど、それは精々が夫婦の痴話喧嘩みたいな物なのよ。あなたが私とこうなったからと言ってあなたが変わったとしても奥様はあなたがお話しにならなければ何も知らずに幸せに生きて行ける。そんなレベルなのよ。」
「一夜蝉である私が本当はこんな事を言ってはいけないのだけど、もう手遅れかもしれないけれど、私と出逢った以上あなたが私の後継者として蝉にならなければならない宿命を背負ってしまった事だけは事実なの。私の唾液はあなたの喉の柔らかい細胞を浸潤して体内に取り込まれたもの。蝉は樹に卵を産みつける。卵から孵化した幼虫は土に戻り10年を経て蛹にならない不完全変態をして地上に現れる。そして殻を破り成虫となるのよ。」
「私達一夜蝉は人間に卵を産みつける。セミタケって知ってる?冬虫夏草の一種だけど蝉の口や呼吸する気門など柔らかい箇所からから侵入したコルジリア菌が発芽して、生きたままの蝉の幼虫の体を乗っ取り死ぬまで命をしゃぶりつくすのよ。体液の流れに沿って移動しながら脂肪組織や蛋白質を分解しながら体中を占拠するのよ。内蔵はすべてコルジリア菌に置き換わる。やがて成熟した菌はキチン、ケラチン等の硬蛋白を分解する酵素を出しながら体を突き破って成長するの。」
「私達はそれに似ている。大丈夫よ、私達は人間を苦しめない。静かに置き換わるだけですもの。免疫力亢進作用のあるメラトニンを分泌させながら生きながらえさせる。何故そんな事をしてまで私達が生き続けなくちゃならないのかは私にも分からない。分かるのは私がたった一日女になった後にあなたが別の人生を歩み始めると言う事だけだわ。」
「だけど、私はもうこんな事は終わりにしたい。私はあなたに取り込まれあなたの意識を奪いあなたに置き換わって再び誰かを私にする。もううんざりなのよ。だからと言って逃げたって得られる物はひとつもない。崩れ者として罰せられ永久に土の中に閉じ込められるかも知れないわね。いのよ。矛盾をあるがままに受け止めて欲しいのよ。あなたの意識が覚醒すればあなたは私と出逢った事を忘れる事ができる。蝉にならなくて済むのよ。いいえ私は自分の苦しみから逃れる為に言っている訳じゃないの。あなたを私の餌にしたくないだけなの。」


「分かった。だからこうしよう。僕は君とともに生きよう。だから君は生き続けなくちゃならないんだ。君の一生は僕の一生だ。君の一生を人間世界の一生にすれば良いんだよ。」
運命なんてないんだ。別の人生もあり得ないんだよ。
まもなく夜明けだ。
カーテンを引き破り二つの裸体を朝の光に預けた。


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January 24, 2005

筆記用具が悪いと書く気が失せる。

今日のブログがそうだ。


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記憶の記録の断片。

馬鹿だわよね。
自分が作った過去だもの、消すに消せぬと悔やむより、いっそ語って自虐に走った方がどんなに楽な事か。

女はそう言うと背中を向けた。
シーツから覗く白い体に二つの痕跡が見えた。
一夜蝉である私が本当はこんな事を言ってはいけないのだけど、もう手遅れかもしれないけれど、私と出逢った以上あなたが私の後継者として蝉にならなければならない宿命を背負ってしまった事だけは事実なの。
私の唾液はあなたの喉の柔らかい細胞を浸潤してすでに体内に取り込まれたもの。
蝉は樹に卵を産みつける。
卵から孵化した幼虫は土に戻り10年を経て蛹にならない不完全変態をして地上に現れる。
そして殻を破り成虫となるのよ。


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January 22, 2005

路傍の草。

刈り取っても 刈り取っても  いつの間にか育っていやがる
更地になって すっきりしたのも束の間 何喰わぬ顔で戻っていやがる
心の何処かで 期待している あいつは虚ろと隙間を埋め戻してくれる
きっとあいつは 戻って来ると 信じるからこそ むしりとりたくなる

まったく お前と 言う奴は


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January 21, 2005

日本の借金時計と財政赤字カウンター

凄まじいものがあります。
日本の借金時計
こちら>>■

財政赤字カウンター
こちら>>■

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カラオケ

小生カラオケは好きである。
年に一度くらいの頻度なのだが、根が騒ぐのが好きなのだろう。
普段は気難しいと周囲から思われているらしい。
らしいと書いたのは「疲れるタイプ」と人づてに聞いたからである。
クライアントの前でカンプを破り捨て修復不可能の経歴もあるからそう思われているらしいが不正裏切りを極端に嫌うから単純なんだろう。
ラテン系なんかなあ?

さてカラオケでは小生は2曲だけしか歌わない。
だから人が歌っている最中にガイドブックをめくる必要も無く手拍子合いの手ヤジまで一切引き受けられる。
では音楽が好きなのかと言うと、これがまるで駄目で仕事中は無音。
キャパシティの問題かと思うが同時に二つの事は出来ない性格らしい。
常に頭の中を得体の知れない何かがうごめき他の事は耳に入らない。
したがってBGMは個人的には不要となってしまうのだ。
それでもたまにくつろいでいる最中に端で家人のプレイするゲームの音が耳に入ると新聞の活字などが踊ってしまい逃げ出す事になる。
しかもゲームの音は耳にしがみついてしまうようで頭の中でしつこく反芻するから困る。
聴く曲は演奏者を選ばずラヴェルのボレロとホルストの惑星のみであって、少しばかりへこんだ時に自分を高揚させる目的がある。
以前は自宅で聞いたが、今は事務所のパソコン、MacのiTunesから聴いている。


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January 20, 2005

STRATA-UG年賀状展2005

07e0dc3d.gifSTRATA-UG年賀状展2005が始まりました。
私は今回も時間が見つけきらなかったので不参加ですが
トップページのバナーからどうぞ。
こちら

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残像美女。

定着されたものが真実とは限らない。
叔父が死んで数日後、小母から宅配便が届いた。
開封すると、蛇腹式、レンズシャッターのクラシカルな写真機が現れた。
生前に叔父が愛用していた写真機だった。
あなたは写真機が好きだから形見として進呈する。長く使っていなかったので痛んでいる部分もあるが、失礼とは思ったが好きな人に使ってもらった方が夫も喜ぶだろうと、同封の手紙に書いてあった。

その重量感と質感はハンディなデジタルカメラでは得られない所有欲を満足させた。
さっそく懇意にしているカメラ屋でブローニー判のフィルムを購入し撮影してみた。
同時プリント密着焼きとして現像に出した。
翌日、印画紙に定着された画像を見た途端、叔父が永年愛用していた訳が理解できた。
少しの不安もあったためモノクロだったが、それが良かったに違いない。
普段は愚痴ばかりの店の親父も久し振りのモノクロ現像に興奮し、大きく引き伸してみたいと前向きな事を言った。
それは柔らかく美しく見る者の精神を安定させた。
僕がその後、その写真機の虜になったのは言うまでもなかった。もちろんモノクロ専用とした。
対象は意識するしないに関わらずシャッターを切っていたが、中には女房の顔も含まれていた。

写真機にはフィルターが三つ付属していた。
何故か一つだけケースに入っており接着剤で固く封じられ「禁」の表書きがしてあった。
ヒビでも入っているのかと思ったが外から見る限り何の支障もないようだった。
こじ開けて写真機に装着してみた。
現像から上がって来る画像を見ても何も変わらなかったのでそのまま存在を忘れた。

ある日、連れ合いの日常と題して彼女の一日を撮影し現像に出した。
翌日店に行くと、親父が怪訝そうな目で僕を見てしかし控えめに言った。
「奥様が奇麗に撮れてますねえ。とてもお若い。それともこれ。」と小指を妙に曲げる。
馬鹿な、世辞を言い合う間柄でもなかろうにと印画紙を見ると確かに彼女が写っているが少し違う。何が違うのかはっきりしないが恐らく光の回り方のせいだろうと思った。
自宅に戻り女房に見せると開口一番
「嬉しい。だけど何だか気味が悪いわ。自分でないみたい。」と言った。

それでも若く写った事に対して大層喜んだ様子で翌日も写して欲しいとねだって来た。
現像に出しては喜ぶの繰り返しのうちに、僕はカメラ屋の親父に嫉妬し始めた。
いの一番に美しい女房を見せるのが苦痛になって来たのだ。

現像キットを購入した。家計に余裕も無い筈だが今回は特に反対もされなかった。
にわか暗室となった酢酸の臭いの立ちこめる書斎で毎晩のように、フィルム現像、印画紙焼き付けが繰り返された。

一ヶ月も経った頃、不快な臭いがすると通報があり警察官が訪問した。
家の主人が目の下に隈を作って応対した。明らかに寝不足が重なっているようだと察せられた。

・・・

僕は彼女がこの上も無く美しく感じたんです。僕はファインダーの中の彼女しか愛せなくなった。ベッドの中でさえカメラを向けなければ行為を完遂できぬほどにまでなったのです。
この美しさを永遠に封じ込めたいと思って夢中でシャッターを切ったのです。彼女は僕だけの物であって欲しかったんです。ぶれるのが嫌なのでじっと動かないで欲しいと言ったのです。
で奥様はどちらへと聞くと、彼は快活に立ち上がり寝室に向かって行った。
「あそこですよ、ほらベッドの上、恥ずかしいのかシーツで隠しているけれど・・・ほら、このカメラでご覧なさい。」

これの何処が残像なのよと言う突っ込みはご遠慮くださいf(^^;


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January 19, 2005

眼鏡。

近視用はホームの時刻表は見えるが目の前の幸せに気がつかない。
近々用は目の前の些末な事は分かるが森が見えない。
黒眼鏡はスキーには役立つが普段は怪しい。

遠近用は最新でこれは役に立つ。もっと早く買っておけば良かった。何しろ携帯のメールのやりとりにその度に眼鏡の掛け外しが不便だったから。しかしこれにも欠点と言うかやむを得ないが完全ではない。遠くをより良く、近くをもっと見えるようにすると一枚のレンズでは視野角が狭くなりその急激な変化に目眩を起こすと言われたからだ。したがって若干弱めに調整したのだ。まだ慣れないせいか頭を動かさず視線だけ動く。階段を降りる時が危ない。
視力が弱いとレンズの入っていないフレームを選ぶ時に掛けた顔がぼんやりとしか見えない。
これは困るので必ず誰かに同伴してもらう。決定者は同伴者なのである。
本当は黒丸眼鏡が欲しかったのだが、あまりに似合い過ぎるという事で却下された。


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壁/スリット

僕は独立してからしばらく自宅で仕事を続けていたが、法人化するにあたり都心部に事務所を開設する事になった。
今でこそ高速なネットで結ばれた環境だから距離を感じなくて済むが、当時は電話とファックスのみであったし、連日の会議や折衝、接待で郊外に居を定めていると不都合が多かったからだ。

おかげで公的機関やクライアントも近くに存在する事になり仕事がスムーズに進む結果となった。
事務所を都心に構える事で金融機関の覚えもめでたく度重なる融資にも快く応じてくれるようになった。
環境もまずまずだった。
街路樹が生い茂り春から夏に掛けて野鳥が飛来しバードウオッチングを楽しむ事が出来た。
バブルな時代だったのだ。

しかし時代は不況。
相次ぐ地上げや固定資産税、相続税、都市開発などで周辺環境も激変した。
以前はブラインド越しに空が見えていたが、巨大なビルが建つに連れ壁が目立って増えた。
だがそれもまだマシであったかも知れない。
いずれも距離があったからだ。
ところが目と鼻の先に高級マンションが建設された。
スパンが長く重厚なタイル張りであるから威圧感甚だしい。
これでまったく閉ざされた空間になってしまった。
何しろマンションのバルコニーが事務所の方を向いているから同一階だとプライバシーもへったくりもない。
鬱陶しいばかりの存在になり自然にブラインドは薄く開けるのみとなった。

ある日の夜。
明日に控えたプレゼンの為の資料をエクセルに落としている最中の事だった。
目を休ませようと何気なく窓をみやるとブラインドのスリット越しに道向かいの部屋に明かりが灯ったのが見えた。
それだけなら何の変哲もないが、開け放した窓に女の姿が現れたのだ。
シルエットになったり照らされたりしているうちに美人である事が判明した。
息抜きに格好の時間を与えてくれた神にささやかな感謝をしつつ、さっそく備品の双眼鏡を取り出し観察を始めた。
いやいや嫌らしい事を想像したのではなくあくまでも観察である。
良く観察する事が大切だと有名な方も仰っていたから何等後ろめく必要もなかった。
実践こそ大切なのだ。

こちらのブラインドが落ちている事に気を許したのか女は全開の窓を額縁に大胆に脱ぎ始めた。
あらら、あんたが悪いんだぜ。
女は剥がせる物は剥がし、取れる物は取り、落とせる物は落とした。
ゴクッと唾を飲むその音に自分で驚く程熱中していた。
やおら女はこちらを向きブラインドを落とした。
ありゃ!気がつかれたか?次の瞬間ブラインドは薄く開かれ何度か同じようなスリットを見せる開閉になった。
何だろう?

バシャッバシャッバッ・・・バシャッ、バッ・・・バッ・・・バッ・・・、バッ・・・バッ・・・バッ・・・、バシャッバッ・・・バシャッバシャッと繰り返された。
遊んでるのか何かの意味があるのか再び観察を始めた。
スリットから見え隠れするその肢体に増々僕は興奮した。

女は遊ぶのに飽きて来た。
「あの馬鹿、先日も覗いていたわね、そんなに裸が見たいのなら見せても良いわよ。だけど欲しかったら逢いに来りゃいいじゃないのさ、夫婦なのに。」
トントンツートン、ツーツーツー、ツーツーツー、トンツートントン・・・モールス信号はFOOL!


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January 18, 2005

代名詞。

旺文社の古語辞典によれば万葉集から
アレ=吾=私(第一人称代名詞)
ナレ=汝=あなた(対称の代名詞)
イマシ=汝=君(対称の代名詞)
と分かったが、ここでイマシの扱いだ。NHK大化の改新では親が息子にイマシと言う。
したがって目上の人間が目下に言う代名詞であろうと思う。
現代でも君は対等であっても目上であっても用いるからだ。もっとも目上はきみぃと言うが。
さらに、アレは彼(他称の人代名詞)とも書くから厄介である。他称であるから人にも物にも使用する。


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ソーシャルネットワーキングサイト/幻覚

私にとって毎日が素晴らしい事象で満たされている訳ではないが、毎日同じである事には耐えられない。
それを救ってくれたのがソーシャル・ネットワーキングサイトだった。
その日もインチキな文章を書き散らしていたが、ふと気になりアクセス通知を覗いてみた。
今思えばそれが私が異界に引き摺り込まれるノックの音だったのだろう。
私は逃れる事の出来ない世界から現在これを書いているのだから。

その日。
私はにわかに動悸の嵩まるのを感じた。
偶然に目にしたニックネームは「静香」だったからだ。
いや、そんな訳がない、これはただの偶然だ。
100,000名もの人間が参加しているこのネットだし実名をニックネームなんかにしている人はいないはずだ。
自分に言い聞かせるようにそのページを閉じた。

しかし翌日もその次の日も虫が知らせるのか、我知らず通知を開いては現れる「静香」の名前に不安にかられた私はついに決断をした。
このシステムはリンクが全員に張ってあり訪問者を特定できる。
訪問すれば私が訪ねた事が相手に知られる。
危険であったがいざとなれば脱会すれば済む事だ。
それですべては終わる。
ネットの気楽さに背中を押されて「静香」をクリックした。

それは思う人間ではなく、まったく別人だった。
安堵した私はしばらくそれを忘れていたが、二週間を経過した辺りだろうか再びアクセス通知を開いた。
既に蜘蛛の巣に堕ちていたのか、「静香」の表示に何の感慨も起きなかった。
しかもクリックした相手は二週間前の「静香」の女ではなかった。
そうか別人であってもニックネームは同じであって不思議ではないなと合点した。
翌日も同じように「静香」が現れたがやはりまったくの別人だった。
その時点で日常に捨てておけば良かった。

好奇心は時として身を滅ぼす。

次の日もそのまた次の日も同じ事を繰り返していたが、ふと全ての訪問が同じ時刻、始まりではなく終わりの時刻23時59分である事に気がついた。
履歴をひっくり返すと入会時点から続いていたのだ。
私はここで取り返しのつかないミスに気がついた。
いくらニックネームを名乗ってもアバターで面が割れてしまった事を。
なおかつ連日クリックした事を。捕捉された事を。

「静香」は捨てた女だった。
近づいて来たのは「静香」であったが好奇から付合い始めやがて疎ましくなり逃げるようにして事務所を変えたのだった。
郵便物は1年間は転送される。
差出人「静香」から一言「怨みます。」の文面が毎日のように届き365回目を最後に20年経ち記憶から消えていた女だった。
私は彼女の人生を変えた訳でもない。
そ・の・ま・ま・に、しただけだった。
所有欲が強い女に辟易した私は自由を求めただけだった。

罠に掛かった事を自覚したがもう遅い。
まもなく招待のメッセージが届きモニターが暗転し、記憶から容赦なく抽出された顔が映った。
「ふふっ、やっと捕まえた。早い物だわ、死んで20年も経つのね。あなたはお顔が随分変わったけど、私はほら、昔の美しいまま。えっ何とか言いなさいよ、昔のようにさ嘘でこねくり回した甘い言葉でさ、あげくに逃げ場を失ったあなたは私を自殺に見せかけて殺した。いえ怨んでなんかいないわよ、そりゃ死んでしばらく彷徨う時には追いかけたけどさ。でも今日あなたに逢えてシアワセ。黙ってないで何かお言いよ。あらっお口がなくなったのね。じゃあさ目も無くしなさいよ、次に耳ね、さあっ次は何を無くしたいのさ、手?良いわよ、体ごと頂くわ、こっちへ来て・・・」


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January 17, 2005

MacMini。

リーズナブルと言われているが果たして本当なのだろうか。なぜこのような疑問を持ったかと言うとMacを既に購入している人々は確かにお求め易い価格に写るかも知れないのだが、Windowsを使っている人々がマシンを乗り換えたとして古いディスプレーとキーボード、マウスを使い続けるだろうかと思ったからである。きっと新しくしたいのではないかと思うからだ。そうなると総額が勝負になる気がするのだが。
直撃インタビュー/Appleの製品で聞きたかったこと。
nikkeibp.jp

私は初めてWindowsのデスクトップを見た時に嫌悪感を覚えたので好きになれない(まったく個人的な趣味)のだが、昨今はだいぶ奇麗になったようだ。まあ仕事で使うからアプリケーションの画面が使い易ければ何ら問題は無い筈であるにも関わらずWindowsを使う気持ちになれないのは、不安定になった状態が恐いからである。時間をメンテナンスにとられるのは困るからである。フリーアプリケーションも必要ないからという理由もある。
しかしあの歪んだ窓マークとインテル入ってるマークは何とかならんのだろうか。もっと美しくならんのかなあ。
ちなみに私の環境は仕事で使うためデュアル1.8GHz PowerPCG5 / 2G DDR SDRAM / 500GBHDD


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妄想列車/光る席

今朝、老婦人に席を譲る青年を見た。
空いた席もないまま、疲れから座っていたように見えた彼は黙ったまま席を立った。
気紛れであったかも知れないが、とにかく老人には席を譲るものだと教えられそれを素直に実行したものと思われた。
彼は幾分照れ屋でもあったし回りの乗客から好意の視線で迎えられるのは気恥ずかしかったようだ。
その為に偶然を装い隣の車両に移ったと思われた。

さて、くだんの老婦人は青年の好意が嬉しかったが、唐突に立って去った青年に対して謝意を述べる時間がなかった。
また生憎の事に膝が悪く次の駅で降りる為にも座るのは遠慮せざるを得なかった。
したがってやはり立ったままであった。
しばらくして青年は自分の善意が受け入れられたかを確かめたくなった。
これから逢う彼の恋人に少し自慢げに話したくなったのだった。
恋人は付合ううちに青年が結婚を申し込もうと思う程に素晴らしい人だった。
自分をアピールしたいという気持ちが起きても何ら不思議ではなかった。
乗客の肩越しに何食わぬ顔で覗いてみた。
ところが席は空いたままであったから、少しばかり残念な気持ちになり思わず老婦人に対して訝しげな視線を投げ掛けてしまった。
老婦人は善意の主を忘れない誠実な女性であった。
感謝の念を持ったまま隣の車両に移った青年を見ていたから彼の視線をまともに受けてしまった。
彼女は理由を述べようと思ったが余りに離れ過ぎていたし騒音もあった。
軽く会釈をするに留まった。
青年は己の欲を恥じた。
人は誰でも悪意や妬みは嫌うものだし心の底に仕舞いたがる物だ。
また善意は消え易く悪意はわだかまりとなって残り易い物だ。
彼は、他人を試そうと考えてしまった事、結果を期待した事を後悔した。
こんな気持ちで自分は恋人に逢う事が出来るのだろうか。
忸怩たる思いから老婦人の視線に耐えきれなくなったその瞬間、彼は自分の目を疑った。
老婦人の座るべき席に知った顔が在ったからだ。
それは眩い光に包まれ彼を見つめたまま静かに微笑む恋人であった。
彼の周囲から一切の騒音が消えた。
彼女は傍にいるかのようにいつもの口調で静かに話しかけて来た。
「それで良いのよ、人は常に善人でいられない、時には妬みの感情も必要なのよ。大切なのは自分に恥じる心を持つ事。自分を厳しく見つめる心。それを知るあなただからこそお付き合いをさせていただいているのよ。そんなあなたが好きよ、いいえ愛しています。これで恋人卒業ね。」
彼が老婦人の笑みに気がついたのは、そろそろ駅へ到着と車内アナウンスが告げた瞬間だった。


posted 久多@麩羅画堂 : 09:58 AM | comments (0) | trackbacks

January 15, 2005

偽善者診断。

自分がかなりの善人である事が判明した。やれやれである。
偽善者診断 音が出るので音量注意されたし。


posted 久多@麩羅画堂 : 06:34 PM | comments (0) | trackbacks

妄想列車/忍び寄る者

朝、老婦人に席を譲る青年を見た。
青年は本を読んでいたし、彼の前に偶然に立った老婦人はテニスラケットのケースを肩に掛けていた。
彼は黙って席を立ち隣の車両へ移動した。
「どうぞ。」と一声掛ければ闇の世界へ引き摺り込まれる事もなかっただろうが、残念な事にその席はJRの定める特別な席だった。
声を掛ける必要もなければ掛けられる謂れもなかったのだ。

だが、「どうぞ。」と一声掛ければ、かくしゃくとした老婦人は「いえ、結構です。ありがとう。」と言葉を返してくれたに違いなかった。
しかし彼が謝辞を期待していた訳でもなかったのは間違いない。
単に老人には席を譲る物だと教えられそれを素直に実行しただけだ。
しばらくして彼は何気なく本から目を離し老婦人の方を向いた。
青年の立つ位置からはその老婦人の姿が見えたに違いない。
その瞬間彼は自分の行動が無意味であった事を悟った。
老婦人は以前と変わらぬ位置に立っていたからだ。
同時に自分では気がつかなかった良い事をしたという自負心に負けた。

善良こそ悪魔の糧となる。
彼は反芻した。俺は何故立ったのだろうか、自分に対する自己評価に点数を付けたかったからか、いやそれは違う。では何故あの婦人が立ち続ける事に残念な思いがよぎるのだろうか。

悪意が増殖する。
俺の好意を何故無視するのだ。座る気がないのなら別の人間が座り易いようにどけよクソババア。

悪魔がほくそ笑む。
そう言えばあの女さんざん思わせぶりな態度で俺に金を使わせ今朝になって友達でいましょうねとケータイにメールを寄越しやがった。
別れて10分後だぜ、糞っああっ忌々しい。
そんな朝だったから気分を変えようと爽やかにわざわざ席を譲ったのに。
あれっ俺はやっぱり代償を求める為に立ったのか?何だ俺は偽善者なのか。
いや俺は善人だ。
あのババアの存在が間違ってるんだ。
あいつさえ居なくなれば俺はこんな馬鹿な事に時間を取られずに本を読んでいられたんだ。
いやババアだけじゃない、知らんふりしやがって俺を間抜けと思っているお前等も、こんな気分にさせたあの女もこの世から居なくなれば・・・

忍び寄る。
あれっ何だこのカッターナイフ。
ああ昨日アルバイト先からくすねたやつだ。
あの店長も同罪だ。
無能扱いしやがって首にしやがったからな。

その時、まもなく駅へ到着すると車内アナウンスが告げた。

・・・お忘れ物が大変多くなっております。
大切な事は今一度お確かめくださいますようお願い致します。・・・
彼は鼻白んだ。
寸での処で闇から解放されたのだった。


posted 久多@麩羅画堂 : 11:19 AM | comments (0) | trackbacks

人物設定。

創作って小生にとって樽の中で発酵し時々撹拌しては酸素を加え熟成させる漬け物みたいなものである。cicada'sもそう。手がうまく機能しないので作画が進まない某をひとまず休ませているが、それを救ったのが蝉。ある日ポスターを見て、その中の英単語cicada'sの韻に引き金が隠されていた。一晩掛けて蝉の羽化を観察した事や、烏に補食される蝉。冬虫夏草。蝉のテリトリーや飛行距離は調べていないが、写真の壁に激突し絶命した蝉を撮影の為に採取した場所から遥かに離れた事務所に運び撮影後近くの土に帰したが、生まれた土から無理矢理引き離された蝉がどう思うか等素材が次々と樽に漬け込まれる。特に今回もそうだが羽化したての蝉は美しい。翡翠の薄衣を纏った美女の設定はすぐ出来た。相手の野郎も妻との生活に疲れ自分を見失いつつある男とした。


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ホイヘンスタッチダウン。

土星探査機カッシーニ孤独な7年間の旅を経て観測機ホイヘンスが土星の衛星タイタンに。
三菱電機DSPACE

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January 14, 2005

アルコール中毒

才能豊かな人は自身から発想がぽこぽこ生み出される。しかし残念な事に小生は凡人だ。インスパイヤが常時接続を必要とする。だから何もないと何も生まれない。トラブルとまでは行かなくともアクシデントを好む妙な生き物だ。しかも条件があって酔い足りなくても酔い過ぎても駄目なのである。前者は知覚が鋭敏にならない。日常が日常で過ぎてしまうからだ。後者は時に不思議を見て自己陶酔に浸れる事があるが所詮お猿のアレ。翌日には二日酔いの不快感に負けている。

丁度良いのが「ちょっと酔ってしまったかな。」という台詞が出る辺りだろう。最も五感が総動員されてすこぶる快調な精神状態である。ああ断っておきますが仕事じゃないですよ。あくまで作品に集約する要素を収集するゴミ拾いの事です。
車中に於ける四人の女の関係考察のお話。
車中でケータイをパコパコさせる女は男がいないか、いても未だ希薄な関係を前提とする。
親友って良いです。何でも包み隠さず話せる。例え一人の男を巡る駆け引きだって酔っていればデリケートな問題まで人前でもチクリチクリと言外に負けないわよって聞こえるのにお互い微笑みながらね。終いにはどちらに早く返事が来るかデザートを賭けてケータイメールを打つ。まあ良く在る話だ。
傍らに別の女が座って居る。服装は前述の二人より地味だ。大きな声で話す二人を眠りを妨げる迷惑な存在としているが、心からそうは思っていない。しかし内容の幼さに10分ほどしてバッグからチュウインガムを取り出し噛み始めた。あきらかに飽きた様子だ。
問題は四人目の女だ。吊り革に手を添えて傍らに立っており、さらに地味だが凛とした雰囲気を持っていた。明らかに聞こえている筈なのだが、まったく無関心であり表情が変わらない。微妙な変化が現れるのはそろそろ駅へ到着と車内アナウンスが告げた瞬間だった。ある世界から急に現実に引き戻される、はっと我に返るあの瞬間だ。窓に映る自分の姿を認め狼狽したかのように小鼻が膨らみ口元が緊張し、瞬きが多くなった。自分を意識したときの動作を忠実に再現した。
御主聞いていたな。
小生は一見謙虚で清楚な印象を持つ彼女に大いに関心を持った。
心の動きをインタビューしたいと思ったがそうもいくまい。想像するしかない。実は現在止まっているシナリオでどうしても書けない部分があって困っている。まあ創造(でっち上げとも言う)するしかないのだが、芯の疼きや言いたくても言えないウエットな感情は明らかに男のデリカシーと異なる。
2004年7月抜粋


posted 久多@麩羅画堂 : 11:04 AM | comments (0) | trackbacks

統制国家。

昨日のニュースで中国当局は韓国野党ハンナラ党国会議員の会見を強制阻止したと言うではないか。何と言う蛮行と思いつつ流れを見るとそう簡単な問題ではない事に気がつく。

問題は中国北東部の朝鮮族にあると言えよう。脱北予備軍がこのまま増え続けると高句麗の所属問題に飛び火するからだ。誇り高き朝鮮族と漢民族の闘いにエスカレートする恐れがある。思想が違うからと言って台湾独立を許せば中国の内包された民族問題が拡大する恐れと同じだと言える。
我が国でも南北に押しやられたカタチで古モンゴロイドの問題が浮上する。しなやかに同化純化が進んだ日本は一見同一性を保っているように見えながら排他的な国民性を持っていると言える。村八分など表面には見えないが異質を排除する感覚は消えないだろう。ここに日本の悲劇がある。
現在160万人と言われる在日外国人が今後増える可能性は十分にあり既にその下地は完成されている。少子化で労働力が足りなくなるからだ。隣人が外国人で当たり前などと言うのはそう先の話ではない。それで国民の何割かが外国人になった場合不当な抑圧に対して独立を叫ぶなんて事も考えられる。
今回の事件は力で制御しなければならない。ここに中国の悲劇があると言えるのではないか。
このニュアンスは竜宮異聞に移植する。


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共生への道。

強き者は少なく、弱き者は多くでバランスをとる。これが自然の摂理だ。地球と言う有限の世界で人は多過ぎるのかも知れないが、これも神の下されたご判断なのだろう。
このニュアンスは刻の眷属へ移植。

ただ、何を以て強きと言い弱きと言うかは見解の別れるところだろう。獅子が強く牛が弱いとしても牛は獅子を蹴殺す事もある。人は弱い存在である。弱さを克服するために知恵を身につけたがこの知恵は果たして有効なのだろうか。神は人が主観に基づいて創造したモノに過ぎないのだから神の判断とはすなわち人の判断である。人に価値の有無を論ずるはあまりに地球と言う存在に対して寄生虫に過ぎない人の傲慢の顕れとも言える。


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January 13, 2005

アンチステレオタイプ

小生は嘘つきである。と言うと、嘘でしょとか、らしいとか、ほんと?とか、様々な感想が返ってきます。しかしフィクションなんて虚構で成立するからねえ。
エディトリアルな方は分からないのですが、長くアドバタイジングをやっていると良い子である事が苦痛になる。反動もその分大きくなりますね。

だから皆とは言いませんが、宇宙とか神秘とか自然とかの方向へ飛んで行ってしまう。で、小生はどうなのかと言うと良い子ではない方へ飛んで行く訳です。でないとバランスが若い時のようにうまく取れない。自然体で解消できない。強制的に作品等を作る際、パラドックスの世界に身を一時置く事ですっきり精神的健康を確保します。嘘つきと宣言して本当の事を書くと小生の真実はどうなのかとなりますが、こればかりは想像していただかなくてはなりません。言える事はおそらく女性とは恥ずかしくて会話できないタイプと断言します。
さて、
パラドックスで今思いついたのですが、恋愛中は両目で、結婚したら片目でと言う教えがありますが、ありゃ嘘です。
相手を知ろうと良く見ますね。そっぽを向いて恋愛できるのは良い男だけ、普通は正面から迫ります。この時見ようとする行為中眼球の網膜から強い光が発射されます。暗い道で懐中電灯をつけるのと同じです。相手を良く知ろうと思えば思う程その光は強くなります。結果として陰影のない相手しか見えなくなる。正視で分かる程人間は単純な生き物ではないと言う事を前提にお話を進めると、常々話すのですが右30度から眺める事が重要であると思います。その人の後ろに陰が在る。そこに真実が在ると思います。
さてここで破綻が在る事に気がつかれたでしょうか。一人の人間は二つの視点を持ち得ない。結局人間は誰かを知る事、真実を見る事は不可能なのだと強引に結論付けする事が可能になる。だからこそ恋愛中は両目を見開いて相手を見る事は少なくとも嘘ではなかったとなりますね。
しかし思いつきとは面白い物で、目を見開いて強い光で眺めれば、皺、しみ、全部吹っ飛んで女房殿を30歳は若返らせられる事必至。結婚生活万万歳と相成る。是非お確かめください。
2004年7月抜粋


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ノロウイルス。

普段は牡蠣に生息するノロウイルス。人の体内に入った途端に悪さをするがそれは人に取り入れられたくない意思の現れであり警告なのだ。すると人は彼らにとって害悪となると考えられる。人よりも遥か太古から生き続けて来た彼らからすると人は寄生虫以外の何者でもないと言う事が出来る。痛みで警告する。自然はうまく出来ている。


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January 12, 2005

青門書道展

5ed101ea.jpg第33回 光荘会 青門書道展
日時 1月16日(日)〜20日(木)
   午前10時〜午後6時
会場 横浜市教育文化センター
   横浜市民ギャラリー3階
電話 045-224-7923
交通 JR京浜東北線 関内駅 北口下車徒歩5分


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桃太郎伝説。

桃太郎伝説は大和朝廷への御調を巡る瀬戸内海に於いての鉄器に優れた伊予の國vs朝廷派の備後の太郎を首班とする、備中、備前、播磨の諸国連合との戦いにおいて連合国が勝利を収めたお話。を妄想中。男女の和合を表す陰陽が神社に祀られていたおおらかで人間的な伊予と律令体制の完成を急ぐ非人間性の争いだったとも言える。非常に興味を引かれた。またまた未完成必至の構想だ。

お話は「鬼と呼ばれた男」とした。鬼を主人公とし桃太郎と鬼は幼少の頃同じ里で育ったとした。宝物は実は一人の女だったとした。
問題点と解決の手引きもしくは創造すべき展開を記す。
桃太郎は何故桃から産まれたか。
鬼が島は島だったのか。
律令国家形成過程。
民衆に伝わる話は事実を含有する事が多いらしいが歴史は勝利者の物だ。鬼とする事、桃から産まれたとする事で事実を隠蔽したのではないか。
製鉄技術の伝播と進行速度。
鬼は水軍もしくは海賊だったのか。
桃太郎は何故鬼を根絶やしにせず戦利品だけを持ち帰ったのか。
瀬戸内海を挟んで農耕文化の違いがあったのか。

もっとも取りかかるのは後日であるが忘れない為に以上を絡めて考察する。

桃太郎は何故桃から産まれたのか。女の腹からに決まってる。桃は神仙の果物だがだいいち日本になかった。さて

小生が四国に渡りたかったのは、もちろん松山へ道後温泉へ行く為であったが、複数回の岡山から見た四国と、四国から見た中国地方をこの目で確かめたかったからである。しかし走る列車から見た川之江周辺の鬼瓦と島の鬼瓦の形状の違いに気がつき、また関東の土が黒く、島の土が赤いといった点に惹かれた。その場で桃太郎伝説が頭をかすめ再び妄想と言う名の病気が始まった事を自覚したのだ。

鬼の本名を温羅(うら)とした。太郎は吉備(きび)とした。女は赤女(あかめ)とした。
国家は国家の為に闘う。大和朝廷は周辺諸国との対等な関係を形成する為に国家の樹立を急ぐ必要に迫られていた。吉備は女を巡る諍いから国家に利用されたのだ。
吉備の出自は定かではなかった。一説に依ると桃から産まれたとの伝承があるが、実は男に捨てられた臨月間近の女が入水自殺をし半死半生のまま老人に発見された。当時この國では飢饉に依る餓死者が後を絶たなかった。国境は曖昧であったが食料生産に従事する農民の減少は国力の衰退を招くため権力者が封じた。それでも若年壮年は逃亡し残されたのは年老いた者達や子供であった。食える物は何でも食う、弱肉強食の世界であった。老人は女を食った。桃とはすなわち女の事であった。だが、腹から未熟ながら男の子が出て来た。老人は己を恥じて吉備と名付け育てる事にした。
やがて時が経ち、たくましく立派に成長したが、所詮父無し子と世間から嘲られやがて根性のねじ曲がった男になった。
この地にもう一人の若者が居た。名を温羅と言う。
温羅は慈悲の心に満ちた両親に育てられ心根の優しい男であったから吉備の唯一の友となった。少年期から青年期へ移る頃、お互いがまったく正反対の気質である事に気がつき袂を分かった。
吉備を育てた老人が死に天涯孤独となった吉備に生きる道は、乞食、僧、武人になるしか残されていなかった。それで武人になる為に大和へ向かった。
一方温羅は両親が飢えた農民に貯蔵の米を有るだけ施した為に没落していた。さらに両親と死別した際に田畑を譲り渡し葬儀をまかなった為に無一文になり、瀬戸を渡り新天地を目指した。温厚で朴訥、神々を畏怖し日々の漁で糊口を凌いでいた。赤女は温羅の恋女房とした。しかし赤女は激情の女だった。男は女の為に闘う。赤女は男の血を欲する女であったのだ。絶世の美女である赤女は吉備に略奪された。温羅は怒り吉備の支配地へ踏み込んだ。これが物語の主筋だ。
ここまで書いて来てホメロスのトロイを思い出した。いんやー二番煎じかなあ。まあ、あっちは偉大だ。小生のいじくりくらいなら笑って許してくれるだろう、あはは。
これらがおおよその人物設定である。

題名を「女鬼(めき)」と変えた。女シリーズやね。

島並みを挟んで北に中国山脈がたおやかな稜線を描き、南に石鎚山を主とする四国山塊が荒々しくそびえる。大潮のその日、普段は鏡の如き海面が渦を巻き白濁の度を増した。外海と内海の大きな干満の差が成せる業であった。より高き物が打ち勝ち、より低き物が服従するは自然の掟であった。
と書き出すつもりだ。

四国高松の沖合に女木島があり通称鬼が島と呼ばれています。
http://n-kishou.com/ee/regional/change/2004/06/12/rpo2.html
実体として鬼とされたのは難破漂着した南蛮人で紅毛碧眼巨躯から当時の日本人にはそう見えたのでしょう。言葉も通じませんし彼らから見たら日本人は野蛮人だったのでしょう。お互いが得体の知れない存在であれば、当然迫害から身を守る為に闘ったのかも知れませんね。大筋においてこの発想から桃太郎が産まれたのは必然であろうと思います。漂着者が少人数であれば島でコロニーを形成したのも頷けます。航海術を持った彼らは水泳も得意だったに違いなく素潜り等に依る漁も比較的容易だったと思います。
参照
http://www.outdoor.co.jp/book/novel/oni_1.htm

ところで外国船が内海である瀬戸内海でわざわざ難破するでしょうか。そこが疑問です。桃太郎が闘ったのは鬼ではなかったと考える所以です。災いを運んで来る人間が鬼として怖れられていただけでは無いかと思うのです。災いとは何でしょうか。略奪、暴行の類いであるとすれば海を拠点と考えれば海賊なのですが、常に海上に暮らす訳にはいかず上陸しなければ水の補給もままなりません。島であればその気になれば船団で囲み火を放ち焼き殺す事も可能だったのではないか。封鎖する事で篭城化させ消耗戦に追い込む事も可能です。勿論これらは後世の闘い方から見た例で古代ではそうはいかなかったのでしょう。しかし島や海流についていくら海賊が詳しく知ると言っても、漁師も知る筈です。水先案内人にすれば戦術を立てるのも容易だった筈です。そうすると海賊には後ろ盾があったと考えるのが尋常ではないでしょうか。後ろ盾とは陸地です。当初小生は現地に於いて四国の北岸は逃げ道であると考えていました。中国地方に比べ平野が少なく山地が海岸に迫っています。仮に海賊が島を前線基地としていたとしてもいざとなれば逃げ込むのに都合の良い条件が備わっていたと見たからです。しかし次第に小生が悪党を成敗したとした小さい話ではなく、もう少し規模の大きな戦いがあったと考えたのは桃太郎に助成があったからです。猿、犬、雉、もちろん都合の良い展開ではありますけれど、国家間の戦いがあったと仮定して「女鬼」を進めたいと思います。

さて海賊説を外したが、瀬戸の島々は複雑な海岸線を描いている。制空権でもあれば話は別だが、攻守共に利点があるようで欠点も抱えている。もっとも島の頂から物見が監視していればのろし等の信号で見方に敵の動きを知らせる事は出来る。陣取り合戦の重要性は古今東西変わらない。問題は夜でだ。となると攻める立場で考えれば闇に乗じて上陸するのが一番だと言う事になる。幸いな事に島々が複雑ではあるけれどそれぞれ距離が短い。夜を怖れる人間も決死の覚悟で渡りきったと考えられる。しかし底の平らな船で良く闘ったものだと感心する。潮の流れを読み天候を見定め屈強な船子の力だけが頼りだったのだろう。

鬼は実在したか。
先日難破漂着した外国人と書いたが、ここに興味深い研究がある。
鬼の研究com
http://www.saturn.dti.ne.jp/~hige/index.html
MacのSafariでは文字が崩れるのでIEでご覧ください。(情けないぞ!)鬼とは土着民だった、朝廷が渡来人だった。ここに攻守の逆転があって面白いと思う。
鬼伝説/桃太郎
http://www.outdoor.co.jp/book/novel/oni_home.htm
パロディとは言えこれが謙遜である事は隠せない面白さ。
古代のナガ。工作しよう工作ホリックさんのサイト
http://www2.117.ne.jp/~windfall/index.htm
これもなかなかです。

大先祖が鬼であればこれほど素晴らしい事は無いが、日本人が簡単に言えば「雑種」に過ぎないのは何とも悲しいものがある。
本作では、出来る限り幻や変化、異形を避け心の本質で考えたいと思う。鬼は実体ではなく恨みや畏怖、裏切りや妬みなど人にとって幽閉すべき暗い闇の世界だと思うからである。これは人の持つ根本的な行動原理でここに社会形成がなされているからだと思うのである。前にネットを伝わる怪談もどきを書いた折り「孤独が嫌いなあなたはきっと群れたがる。そう思ったのよ。」と死んだ女に言われる筋だったのだが、書き漏らしていた事に今気がついた。7月28日読売新聞夕刊論壇に於いて臨床心理士の矢幡氏「集団の中で増幅する少女のサディズム」中で、現代においてはちょっと小生には理解できないのだが、孤立は誰からも相手にされない異常な人とされ、無理に結んだ人間関係はやがて破綻が生じるとしてある。しかしその怖れよりも群れなければ生きていけない現実もある。また、作家の重松氏は音羽事件を微妙な主従関係を結びながら行動を共にした結果の破綻と見ている。さらに民俗学者の大月氏に依れば佐世保事件は落差の感覚と位置づけている。これらに共通する要素として「過剰な同調圧力」が挙げられた。
小生はこれが人を苦しめ耐えきれなくなった弱い部分からやがて心の中に息を潜めていた鬼が繁殖すると考える。したがって実体はないが実在はすると考えてみるのである。
温羅は信頼に裏付けられた強さを持ち孤独に耐えられるとした。色は黒。野生の顔立ち。赤女は一人では何も出来ない。先日は激情と書いたが間違いで多情とし立ち回る事で困難を切り抜けるとした。色は赤。美女とした。吉備は育ての親が実は実母を喰ったトラウマから逃れる事が出来ず人間不信を通り越して集団の中での支配欲に走った存在とした。むろん母を喰った老人に酷い仕打ちをする。色は青。美しい男とした。温羅以外は全て陰湿な外道としたい。果たして小生がそのような描写に耐えられるのか我ながら不安。例に依って甘くなってしまうかもね。

300から500年代と書いてしまったが、やはり物語の筋として動乱は外せない。したがって大化の改新後とした。何故なら支配者としての国造(くにのみやつこ)から評造(ひょうぞう)への転換に吉備の身分が最適だからだ。いい加減なものだ。一地方の出来事として主従の逆転もあり得たと思うし要は中央にとって利益になれば良かったのだ。古い体制を打破する為には中央は努力を惜しまなかったのでは無いかと思う。
ただ、歴史におもねると妄想がしぼむのであまりこだわらず(ことえりは何故か素直に変換してくれない)に頓着しない事にした。権力が奴婢などを中央に差し出した事が分かれば良いと思う。また船舶による物資の輸送が整備されていない道を経由するよりも大量に運べただろうと想像する。権力が天皇制的中央集権的律令国家と呼ばれ確固たる支配を築きつつあった時代であればよいかと思う。瀬戸内海を挟んで北は早くから支配下に在り(戸籍は吉備の地に556年蘇我稲目が派遣され田部達の丁籍が造られたという。)南はそれよりも遅れたが、日本全体で見れば進んだ地域であっただろう。安全保障みたいな物であったかもしれない。武士の台頭まではまだ時間が掛かるが早過ぎた男として吉備を描きたいので時間を圧縮する。

事実の隠蔽か。
何故、小生が過去ばかり描くのかちょっと考えてみた。未来が描けないと言う根本的な個人の問題も抱えているが、昨今の映画を散見するに、未来は暗い。暗闇にひた走っている。人間の本質が邪悪であって既にパンドラの箱を開けきってしまったかのような感がある。自らを進化の袋小路に追い込んだかつての巨竜のようである。予見は遠からず訪れるであろうが人はそれほど愚かではない。必ずや自戒の意思を表すだろう。そう信じたい。そう言えばあるアプリケーションの開発チームが唐突に現れ意見を求めたようだが、一週間という短期滞在と10分程度で何が分かるのか信じられない思いだった。販売代理店によって事実がねじ曲げられているような、そのような気が少しだけ脳裏をかすめた。いやかすめただけだが。明るい未来を共に築きたいものである。

翻って過去はどうなのだろうか。過去は既に確定したものだ。問題は確定の根拠が勝利者にその権限が与えられたという事実だ。確定と事実は明らかに異なる。その差分が好きなのである。人は特に権力を手中にした者は過ちを語らない。だからこそ暗黒の中から事実を導きだし一筋の光明を見る。別に宗教的な発想からではなく人は性悪であるからこそ「善」を希求するのではないか。そう考える。随分昔の事であるが独眼竜正宗で梵天丸が不動明王に対峙し「かくありたい。」と願った心境こそ未来に繋ぐ人の生き方だと思うのだ。静謐の中に込められた憤怒の形相こそ正しきを見つめ、深い悲しみから生まれる慈悲、信じる事への絶対視。人を誹らず人におもねず人を上下に見ず、邪悪を排除する力を得んが為に己に厳しくありたい。例え魔が差し鬼が生まれ出流とも四肢を踏ん張りしっかり正しき大地に立ちたい。そこに人が人であり続ける為の正がある。

だが対比させたいが為の外道達だが、生き抜く事の本質は善悪を超えるものと考えるのだ。ここに佐伯真一著「戦場の精神史」という本が在る。犬とも言え、畜生とも言え、勝つ事こそ本文である。この言葉こそ戦いの本質であろう事は疑う余地もない。勝たなければ死ぬしか選択がなければ人は何にでもなれる。

勿論、現在のように圧倒的な情報量もなく利害関係も複雑でない市井の人の正義など個人の見聞や限られた情報から生まれた小さなものなのかも知れないが、そこに古代の人の力、義、真が単純に語れるのではないかと思うのだ。簡単に言えば身勝手な解釈によるロマンなのである。


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憧れは未来に在る。

小生は某代理店横浜支社に13年間在籍した。当時広告代理店と言えばかなりやくざな世界でもあった。怪しい人物が徘徊する事もあった。
一人の老人が居た。残念な事に名前を今思い出せない。

夏でも常に糊のきいたワイシャツ、蝶ネクタイ、皺のない麻のスーツ、ハット姿だった。
浅黒く焼けた肌、飄々として動じない絵に描いたような老人だった。口数少なく滅多に口を開けて笑う事はなかった。それでも質問には丁寧に答えてくれた。博識でもあったが過去を語る事はなかった。ざわめきの中で孤高を漂わせる人物であった。

若い時分の小生はご多分に漏れず生意気であった。名前にさんを付ける事は忘れなかったし年長者に対する尊敬の念もあったが、広告に関しては時代遅れの老人に、内心、爺と思っていた。おそらくそれは顔にも出ていたと今だから思う。そのような礼を欠く小生に淡々と接してくれた。それが諦めなのか、小僧と思いながらも人生の刻まれた深い皺に押し隠したのか、それは分からない。

今朝、彼の思い出がふと頭をよぎりこれを記するは、小生がそれを感じる事の出来る年齢に近づいて来たと言う事だろう。
憧れは常に未来に在る。過去は常に未来を開いているのにそれに気がつかない。

小生は彼に憧れていたのだと今、知る。

なのに・・・
金山と言えば佐渡だ。金さんと言えば遠山金四郎だ。ではお前は既に・・・の台詞で有名なのは?

2004年7月抜粋


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January 11, 2005

俺とお前。

奈良時代の言葉だが俺とお前が良く分からない。
少し前までは
自分を「吾」とし他人を「汝」と解釈していたがNHK大化の改新では自分の事をアレ、(ワレとも聞こえる?)、他人をナレと発音しているようだ。
アレやワレなら我だが吾輩は猫であるならばやはり吾で良いのだろうか。また他人をナレと聞こえるのならば爾で良いのだろうか。少し迷っている。調べてみよう。
台詞考察
心弱き者の裏切りは不快には思うが怒りにはならない。
強き者が裏切る事に怒りを覚えるのだよ。
すべての罪を背負って旅立たれたのであればすべてを許せるが、己の保身を願って逃げたのであれば許す訳にはいかぬ。
太郎、それは正しき事に見えてやはり間違っている。人は弱い存在なのだよ。だから
俺は来世で良き処へ行きたい。たとえ人を押しのけてもな。だからお前も俺を押しのけるほどに善行を積めとそれが言いたかったのだよ。


posted 久多@麩羅画堂 : 05:49 PM | comments (0) | trackbacks

饒舌は不調の証。

途切れる自分が恐ろしいし線を導く右手が駄目な状態だと書くしかないもの。
こうやって綴る事で頭が整理される事もままあるからね。
もっとも、インスピレーションは文章からは生まれない。
それは月であったり木々のざわめき、闇、靄であったりする。
日中は大抵駄目だ。それは発見であり発想には繋がらないし作品にも多くは反映されない。

さて、本日は痛みが形成する快感の考察。
まあ小生くらいの年齢になると様々な痛みを経験しますね。
心や精神的な痛みはここでは省いて、親から叩かれたのも別にして他人から殴られたのは複数回。これは相手に憎しみの感情を抱く事である程度解消できますし、そういった場面ではお互いが一種の興奮状態でもありますから、さほど感じず後からじわっと口の中の血の味を確かめる余裕もあります。しかし総じて不快な痛みです。
抜歯では局所麻酔&笑気ガスで複数回。これもまあ後でじんわりと疼く痛みで、快感には至りません。
切腹は全身麻酔で複数度。正中切開は均等な痛みで救われますが、脇腹の場合は長く痛みが残ります。これで解放されるんだと言う希望がありますが、これも快感というよりは苦痛です。
泥酔の末、崖に激突して手足に傷を負う事もめずらしくなく顔に傷がなく骨折の経験もないのが不思議なくらいです。
さて今回、五十肩で痛みを我慢していたせいで筋が萎縮してしまい、これを医師はフローズンショルダー(凍結肩)と呼びますが、200日経てば治ると高を括り放置していたお陰で明け方痛みで目が覚める程になってから慌てて病院へ行く羽目になった。
「あんた我慢強いのも時によるよ、こりゃ根性入れて治療せんとな。」と恐ろしい宣告を受けてしまいました。
しかし急にやると宜しくないので2週間程関節内に注射で痛み止めを打ち、合わせて筋肉を柔らかくする薬と湿布で経過を見た。
そして昨日だ。
自ら招いた災難だから仕方がない。で「ウオッ・・・ック!」になった訳。麻酔無しの痛みがこんなに凄いものだったとは・・・
肩の中で何かがビシッと切れる感じ、次いでやはり何かがズルッと動く感じ。
その後の爽快感。これがマゾの快感か。
いや正確にはあまりの痛みに世の中の他の痛みなぞ問題外の勘違いだったのだが。
その証拠にはやはり今朝も痛いがな。癖になりそうと言いますか治療は続く訳で恐ろしい。もうご免だと正直思います。
そこで気がついたのはマゾの快感は痛みが継続する事ではなく瞬時に強烈な痛みで一種のカタストロフィーの状態に陥る事ではなかろうか。だから拷問はじっくりとやるのです。じわじわと。したがってそれは単なる苦痛であり逃れようと自白に至る。
マゾの快感とは苦痛を加えられた最中ではなく直後にあると考える次第であります。
2004年7月


posted 久多@麩羅画堂 : 10:10 AM | comments (0) | trackbacks

舞台の展開

782526f3.jpg登場人物の設定も大切だがシナリオには舞台設定も必要だ。初期案の島のデザインは龍の文字をかたどっていたが先日「カンフーハッスル」でタイトルバックに似た物があったので止めた。


posted 久多@麩羅画堂 : 09:28 AM | comments (0) | trackbacks

携帯ストラップ。

9864f17c.jpg僕はぶら下がりが好きである。ぶらぶら気のままひぐらしと言う訳でもないがぶらぶらしていると気が落ち着く。困った事だ。


posted 久多@麩羅画堂 : 09:25 AM | comments (0) | trackbacks

成人の日。

休日出勤の昨日。出勤時に一人、帰宅時に一人。着物を着た新成人に出逢った。時間帯によるが近年に無い数の少なさであった。だからと言って出逢った若い人が少ないと言う訳ではないから着物が少なくなったと言うべきか。
晴れ着の晴は天気ではない。ハレとケがありハレとは特別、ケとは日常を表す。晴の舞台とも言いますが年を取るとこのハレが少なくなって来る。これは寂しい。


posted 久多@麩羅画堂 : 09:20 AM | comments (0) | trackbacks

神を欺く。

いつだったか画家が子供達に絵を教える際に紙を欺くようにの旨の発言をした。
なるほど予め頭の中で構想していたのでは頭の中から一歩も踏み出す事が出来ない。
僕もやはり下書きの類いはあまりしない方だ。職業上下絵を描いてパソコンアプリでトレースをするが、それは職業上の習いであってこと作品となると直接描き出す。計算をすればするほどあざとくなるからだ。


posted 久多@麩羅画堂 : 09:14 AM | comments (0) | trackbacks

January 10, 2005

憤怒の形相。

a15eef81.jpg昨日、世田谷美術館の「吉野・熊野.高野の名宝」展へ出かけた。
今回の展示の目玉は吉野・大峯の蔵王権現である。凄まじい怒りの形相の不動明王であるが不思議に正面から見るその顔は安らぎに満ちている。実際には暗い堂のなかで灯明に照らし出されたならば憤怒の形相は恐ろしく見えると思われるのだが、怒りと言うよりは達成した安堵感があるのだ。いつだったか横綱貴乃花がこのような表情を見せた事があるのを思い出した。ただし横顔はその名にふさわしい怒りの形相である。

人は過ちを犯すと正面から人の目を見るのははばかる。僕が横顔に惹かれるのもそんな後ろめたい気持ちが心の何処かにあるやも知れぬ。正面の顔は建前。横顔にこそ本音が潜むと考えるからである。親しくなればなるほど例えば夫婦であれば表菩薩であっても横顔の憤怒を感じ取るのである。正面きっての怒りは反感を生むが感じ取る怒りは心に沈着するのである。


posted 久多@麩羅画堂 : 01:29 PM | comments (0) | trackbacks

赤を入れた原稿が見当たらない。

確か何処かで。そんな感じでプリントアウトした原稿を推敲したシナリオが見つからない。まめに保存はする質なのだが途中で「鏡」に集中した際に捨ててしまったのかも知れない。現存するデータ(パソコン上のテキスト)からやり直した方が早いかも知れない。
問題の箇所は高貴な世界に住む姫が何故一般人つまり違う世界の人である太郎に心を許したのか。気紛れではない心の変移が不明なのだ。白紙で考え直す。


posted 久多@麩羅画堂 : 12:47 PM | comments (0) | trackbacks

January 08, 2005

再開

350f61d5.jpg再開したものの1年くらい経っているので忘れた部分や資料が散逸しており難儀な事だ。シナリオの再構築中。


posted 久多@麩羅画堂 : 05:00 PM | comments (0) | trackbacks

January 07, 2005

煮えくり返る

事務所のあるビルの集合郵便受けから、
元日または二日に年賀状が盗まれ管理会社から警察に被害届を出した。
僕に年賀状を出したかと聞く訳にもいかないから困る。
松も取れる今日で一桁違う数だったので郵便局の怠慢か不景気のせいかと思っていたが、
万一悪質な名簿業者等に渡って悪用されたら面目が立たない。
多くがモノ作りに携わる方達なので、その賀状は魂が込められている。
毎年楽しみにしていただけに、偽札や子供殺しなど卑怯な振る舞いが目立つ昨今の世相だが、
本当に腹わたが煮えくり返る思いだ。


posted 久多@麩羅画堂 : 08:04 PM | comments (0) | trackbacks

やれやれ

ヒーローが子供の攻撃性を高める?
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050107-00000101-yom-soci
そう言えばカリフォルニア州知事がヒーローやっていた映画館ではのっしのっしと歩く男性がいたなあ。自分が強くなった気がするというあれか。やれやれである。


posted 久多@麩羅画堂 : 10:58 AM | comments (0) | trackbacks

大人の付き合い

他人の庭先を徘徊すればすなわち「フリーズ」と警告される。
自分の庭に生えた果樹の根が他家に多く伸びたとして、
その根の地上までを了解無く我が物にはできまい。
無知は許せるが無知をそそのかす輩は許せない。
大人とは相手の立場を理解できる事だ。そして理解しつつ説得する事だ。
それが出来なければ大人とは言えまい。
大人ではない國に援助は不要だろう。すべて暴力につぎ込む結果となる。


posted 久多@麩羅画堂 : 09:27 AM | comments (0) | trackbacks

January 06, 2005

謹賀酒年

金が信念の2005年。今年も面白可笑しくその場しのぎに溺れて参る所存です。
宜しくです。
久多@極楽蜻蛉は入稿三昧
写真は飲んだ万喜、溺れる酉は酒を飲む。


posted 久多@麩羅画堂 : 10:07 AM | comments (0) | trackbacks

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