February 07, 2005

エレベーターガールは二度笑う。

現在ではセクサロイドになっているが刻の眷属の副題だ。
時計の針の重なりにインスピレーションを得たのだと思う。
また事務所のあるビルのエレベーターに閉じ込められたデリバリーの若い男性の恐怖の顔を見た性かも知れない。

その108階建ての高層ビルにはエレベーターは一つしかない。だが噂では二つあり昇降が重なった時に現れると言われていた。出世する人物は偶然に二つ目のエレベーターのあるフロアで乗り換えるとされていたのだ。もちろん能力ある人物に特定されていたが、ある日冴えない男がその偶然に遭遇した所から物語は始まる。オチはその男が下りの方にも乗ってしまった。である。下りに何故乗ってしまったか。それは秘密であるが

堕ちて行く
今のままじゃ このままじゃ 何も残らない 残せない
エレベーターは異界の塔

とまで書いた時点で本能寺の変へ話を進めた。
しかし同じ頃同じ話が本になったためにさらに昔に話を進めた。
結果卑弥呼まで行き着くのである。

畿内か北九州かは問題ではない。現代と未来を横浜に置いたから。なぜなら話は高層ビルでないとイケナイからと、取材が楽だから。これもまた強引である。でも02年に石舞台は見学しました。物語では実際の10倍くらいに想定しています。
なんとなく余裕が感じられるのは異聞のシナリオが確定したから。でもまあ油断大敵という事もあるからこれから延々と続く作画にちょっと遠い目・・・
僕は高所恐怖症なのだが何故か高層ビルが題材に出て来る。あっこれは願望の象徴ではないですぜ、旦那。
落ちる感覚は分かるのです。おそらく溺れかけて引き潮に体の自由を奪われた際の多数の泡の先に手がかりが遠くに去るのを目撃したからではないかと思うのです。あの恐怖は40年以上も前の事なのに昨日のように感じられます。


posted 久多@麩羅画堂 : 10:31 AM | comments (0) | trackbacks

January 14, 2005

共生への道。

強き者は少なく、弱き者は多くでバランスをとる。これが自然の摂理だ。地球と言う有限の世界で人は多過ぎるのかも知れないが、これも神の下されたご判断なのだろう。
このニュアンスは刻の眷属へ移植。

ただ、何を以て強きと言い弱きと言うかは見解の別れるところだろう。獅子が強く牛が弱いとしても牛は獅子を蹴殺す事もある。人は弱い存在である。弱さを克服するために知恵を身につけたがこの知恵は果たして有効なのだろうか。神は人が主観に基づいて創造したモノに過ぎないのだから神の判断とはすなわち人の判断である。人に価値の有無を論ずるはあまりに地球と言う存在に対して寄生虫に過ぎない人の傲慢の顕れとも言える。


posted 久多@麩羅画堂 : 10:19 AM | comments (0) | trackbacks

January 13, 2005

ノロウイルス。

普段は牡蠣に生息するノロウイルス。人の体内に入った途端に悪さをするがそれは人に取り入れられたくない意思の現れであり警告なのだ。すると人は彼らにとって害悪となると考えられる。人よりも遥か太古から生き続けて来た彼らからすると人は寄生虫以外の何者でもないと言う事が出来る。痛みで警告する。自然はうまく出来ている。


posted 久多@麩羅画堂 : 08:58 AM | comments (0) | trackbacks

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