January 12, 2005

桃太郎伝説。

桃太郎伝説は大和朝廷への御調を巡る瀬戸内海に於いての鉄器に優れた伊予の國vs朝廷派の備後の太郎を首班とする、備中、備前、播磨の諸国連合との戦いにおいて連合国が勝利を収めたお話。を妄想中。男女の和合を表す陰陽が神社に祀られていたおおらかで人間的な伊予と律令体制の完成を急ぐ非人間性の争いだったとも言える。非常に興味を引かれた。またまた未完成必至の構想だ。

お話は「鬼と呼ばれた男」とした。鬼を主人公とし桃太郎と鬼は幼少の頃同じ里で育ったとした。宝物は実は一人の女だったとした。
問題点と解決の手引きもしくは創造すべき展開を記す。
桃太郎は何故桃から産まれたか。
鬼が島は島だったのか。
律令国家形成過程。
民衆に伝わる話は事実を含有する事が多いらしいが歴史は勝利者の物だ。鬼とする事、桃から産まれたとする事で事実を隠蔽したのではないか。
製鉄技術の伝播と進行速度。
鬼は水軍もしくは海賊だったのか。
桃太郎は何故鬼を根絶やしにせず戦利品だけを持ち帰ったのか。
瀬戸内海を挟んで農耕文化の違いがあったのか。

もっとも取りかかるのは後日であるが忘れない為に以上を絡めて考察する。

桃太郎は何故桃から産まれたのか。女の腹からに決まってる。桃は神仙の果物だがだいいち日本になかった。さて

小生が四国に渡りたかったのは、もちろん松山へ道後温泉へ行く為であったが、複数回の岡山から見た四国と、四国から見た中国地方をこの目で確かめたかったからである。しかし走る列車から見た川之江周辺の鬼瓦と島の鬼瓦の形状の違いに気がつき、また関東の土が黒く、島の土が赤いといった点に惹かれた。その場で桃太郎伝説が頭をかすめ再び妄想と言う名の病気が始まった事を自覚したのだ。

鬼の本名を温羅(うら)とした。太郎は吉備(きび)とした。女は赤女(あかめ)とした。
国家は国家の為に闘う。大和朝廷は周辺諸国との対等な関係を形成する為に国家の樹立を急ぐ必要に迫られていた。吉備は女を巡る諍いから国家に利用されたのだ。
吉備の出自は定かではなかった。一説に依ると桃から産まれたとの伝承があるが、実は男に捨てられた臨月間近の女が入水自殺をし半死半生のまま老人に発見された。当時この國では飢饉に依る餓死者が後を絶たなかった。国境は曖昧であったが食料生産に従事する農民の減少は国力の衰退を招くため権力者が封じた。それでも若年壮年は逃亡し残されたのは年老いた者達や子供であった。食える物は何でも食う、弱肉強食の世界であった。老人は女を食った。桃とはすなわち女の事であった。だが、腹から未熟ながら男の子が出て来た。老人は己を恥じて吉備と名付け育てる事にした。
やがて時が経ち、たくましく立派に成長したが、所詮父無し子と世間から嘲られやがて根性のねじ曲がった男になった。
この地にもう一人の若者が居た。名を温羅と言う。
温羅は慈悲の心に満ちた両親に育てられ心根の優しい男であったから吉備の唯一の友となった。少年期から青年期へ移る頃、お互いがまったく正反対の気質である事に気がつき袂を分かった。
吉備を育てた老人が死に天涯孤独となった吉備に生きる道は、乞食、僧、武人になるしか残されていなかった。それで武人になる為に大和へ向かった。
一方温羅は両親が飢えた農民に貯蔵の米を有るだけ施した為に没落していた。さらに両親と死別した際に田畑を譲り渡し葬儀をまかなった為に無一文になり、瀬戸を渡り新天地を目指した。温厚で朴訥、神々を畏怖し日々の漁で糊口を凌いでいた。赤女は温羅の恋女房とした。しかし赤女は激情の女だった。男は女の為に闘う。赤女は男の血を欲する女であったのだ。絶世の美女である赤女は吉備に略奪された。温羅は怒り吉備の支配地へ踏み込んだ。これが物語の主筋だ。
ここまで書いて来てホメロスのトロイを思い出した。いんやー二番煎じかなあ。まあ、あっちは偉大だ。小生のいじくりくらいなら笑って許してくれるだろう、あはは。
これらがおおよその人物設定である。

題名を「女鬼(めき)」と変えた。女シリーズやね。

島並みを挟んで北に中国山脈がたおやかな稜線を描き、南に石鎚山を主とする四国山塊が荒々しくそびえる。大潮のその日、普段は鏡の如き海面が渦を巻き白濁の度を増した。外海と内海の大きな干満の差が成せる業であった。より高き物が打ち勝ち、より低き物が服従するは自然の掟であった。
と書き出すつもりだ。

四国高松の沖合に女木島があり通称鬼が島と呼ばれています。
http://n-kishou.com/ee/regional/change/2004/06/12/rpo2.html
実体として鬼とされたのは難破漂着した南蛮人で紅毛碧眼巨躯から当時の日本人にはそう見えたのでしょう。言葉も通じませんし彼らから見たら日本人は野蛮人だったのでしょう。お互いが得体の知れない存在であれば、当然迫害から身を守る為に闘ったのかも知れませんね。大筋においてこの発想から桃太郎が産まれたのは必然であろうと思います。漂着者が少人数であれば島でコロニーを形成したのも頷けます。航海術を持った彼らは水泳も得意だったに違いなく素潜り等に依る漁も比較的容易だったと思います。
参照
http://www.outdoor.co.jp/book/novel/oni_1.htm

ところで外国船が内海である瀬戸内海でわざわざ難破するでしょうか。そこが疑問です。桃太郎が闘ったのは鬼ではなかったと考える所以です。災いを運んで来る人間が鬼として怖れられていただけでは無いかと思うのです。災いとは何でしょうか。略奪、暴行の類いであるとすれば海を拠点と考えれば海賊なのですが、常に海上に暮らす訳にはいかず上陸しなければ水の補給もままなりません。島であればその気になれば船団で囲み火を放ち焼き殺す事も可能だったのではないか。封鎖する事で篭城化させ消耗戦に追い込む事も可能です。勿論これらは後世の闘い方から見た例で古代ではそうはいかなかったのでしょう。しかし島や海流についていくら海賊が詳しく知ると言っても、漁師も知る筈です。水先案内人にすれば戦術を立てるのも容易だった筈です。そうすると海賊には後ろ盾があったと考えるのが尋常ではないでしょうか。後ろ盾とは陸地です。当初小生は現地に於いて四国の北岸は逃げ道であると考えていました。中国地方に比べ平野が少なく山地が海岸に迫っています。仮に海賊が島を前線基地としていたとしてもいざとなれば逃げ込むのに都合の良い条件が備わっていたと見たからです。しかし次第に小生が悪党を成敗したとした小さい話ではなく、もう少し規模の大きな戦いがあったと考えたのは桃太郎に助成があったからです。猿、犬、雉、もちろん都合の良い展開ではありますけれど、国家間の戦いがあったと仮定して「女鬼」を進めたいと思います。

さて海賊説を外したが、瀬戸の島々は複雑な海岸線を描いている。制空権でもあれば話は別だが、攻守共に利点があるようで欠点も抱えている。もっとも島の頂から物見が監視していればのろし等の信号で見方に敵の動きを知らせる事は出来る。陣取り合戦の重要性は古今東西変わらない。問題は夜でだ。となると攻める立場で考えれば闇に乗じて上陸するのが一番だと言う事になる。幸いな事に島々が複雑ではあるけれどそれぞれ距離が短い。夜を怖れる人間も決死の覚悟で渡りきったと考えられる。しかし底の平らな船で良く闘ったものだと感心する。潮の流れを読み天候を見定め屈強な船子の力だけが頼りだったのだろう。

鬼は実在したか。
先日難破漂着した外国人と書いたが、ここに興味深い研究がある。
鬼の研究com
http://www.saturn.dti.ne.jp/~hige/index.html
MacのSafariでは文字が崩れるのでIEでご覧ください。(情けないぞ!)鬼とは土着民だった、朝廷が渡来人だった。ここに攻守の逆転があって面白いと思う。
鬼伝説/桃太郎
http://www.outdoor.co.jp/book/novel/oni_home.htm
パロディとは言えこれが謙遜である事は隠せない面白さ。
古代のナガ。工作しよう工作ホリックさんのサイト
http://www2.117.ne.jp/~windfall/index.htm
これもなかなかです。

大先祖が鬼であればこれほど素晴らしい事は無いが、日本人が簡単に言えば「雑種」に過ぎないのは何とも悲しいものがある。
本作では、出来る限り幻や変化、異形を避け心の本質で考えたいと思う。鬼は実体ではなく恨みや畏怖、裏切りや妬みなど人にとって幽閉すべき暗い闇の世界だと思うからである。これは人の持つ根本的な行動原理でここに社会形成がなされているからだと思うのである。前にネットを伝わる怪談もどきを書いた折り「孤独が嫌いなあなたはきっと群れたがる。そう思ったのよ。」と死んだ女に言われる筋だったのだが、書き漏らしていた事に今気がついた。7月28日読売新聞夕刊論壇に於いて臨床心理士の矢幡氏「集団の中で増幅する少女のサディズム」中で、現代においてはちょっと小生には理解できないのだが、孤立は誰からも相手にされない異常な人とされ、無理に結んだ人間関係はやがて破綻が生じるとしてある。しかしその怖れよりも群れなければ生きていけない現実もある。また、作家の重松氏は音羽事件を微妙な主従関係を結びながら行動を共にした結果の破綻と見ている。さらに民俗学者の大月氏に依れば佐世保事件は落差の感覚と位置づけている。これらに共通する要素として「過剰な同調圧力」が挙げられた。
小生はこれが人を苦しめ耐えきれなくなった弱い部分からやがて心の中に息を潜めていた鬼が繁殖すると考える。したがって実体はないが実在はすると考えてみるのである。
温羅は信頼に裏付けられた強さを持ち孤独に耐えられるとした。色は黒。野生の顔立ち。赤女は一人では何も出来ない。先日は激情と書いたが間違いで多情とし立ち回る事で困難を切り抜けるとした。色は赤。美女とした。吉備は育ての親が実は実母を喰ったトラウマから逃れる事が出来ず人間不信を通り越して集団の中での支配欲に走った存在とした。むろん母を喰った老人に酷い仕打ちをする。色は青。美しい男とした。温羅以外は全て陰湿な外道としたい。果たして小生がそのような描写に耐えられるのか我ながら不安。例に依って甘くなってしまうかもね。

300から500年代と書いてしまったが、やはり物語の筋として動乱は外せない。したがって大化の改新後とした。何故なら支配者としての国造(くにのみやつこ)から評造(ひょうぞう)への転換に吉備の身分が最適だからだ。いい加減なものだ。一地方の出来事として主従の逆転もあり得たと思うし要は中央にとって利益になれば良かったのだ。古い体制を打破する為には中央は努力を惜しまなかったのでは無いかと思う。
ただ、歴史におもねると妄想がしぼむのであまりこだわらず(ことえりは何故か素直に変換してくれない)に頓着しない事にした。権力が奴婢などを中央に差し出した事が分かれば良いと思う。また船舶による物資の輸送が整備されていない道を経由するよりも大量に運べただろうと想像する。権力が天皇制的中央集権的律令国家と呼ばれ確固たる支配を築きつつあった時代であればよいかと思う。瀬戸内海を挟んで北は早くから支配下に在り(戸籍は吉備の地に556年蘇我稲目が派遣され田部達の丁籍が造られたという。)南はそれよりも遅れたが、日本全体で見れば進んだ地域であっただろう。安全保障みたいな物であったかもしれない。武士の台頭まではまだ時間が掛かるが早過ぎた男として吉備を描きたいので時間を圧縮する。

事実の隠蔽か。
何故、小生が過去ばかり描くのかちょっと考えてみた。未来が描けないと言う根本的な個人の問題も抱えているが、昨今の映画を散見するに、未来は暗い。暗闇にひた走っている。人間の本質が邪悪であって既にパンドラの箱を開けきってしまったかのような感がある。自らを進化の袋小路に追い込んだかつての巨竜のようである。予見は遠からず訪れるであろうが人はそれほど愚かではない。必ずや自戒の意思を表すだろう。そう信じたい。そう言えばあるアプリケーションの開発チームが唐突に現れ意見を求めたようだが、一週間という短期滞在と10分程度で何が分かるのか信じられない思いだった。販売代理店によって事実がねじ曲げられているような、そのような気が少しだけ脳裏をかすめた。いやかすめただけだが。明るい未来を共に築きたいものである。

翻って過去はどうなのだろうか。過去は既に確定したものだ。問題は確定の根拠が勝利者にその権限が与えられたという事実だ。確定と事実は明らかに異なる。その差分が好きなのである。人は特に権力を手中にした者は過ちを語らない。だからこそ暗黒の中から事実を導きだし一筋の光明を見る。別に宗教的な発想からではなく人は性悪であるからこそ「善」を希求するのではないか。そう考える。随分昔の事であるが独眼竜正宗で梵天丸が不動明王に対峙し「かくありたい。」と願った心境こそ未来に繋ぐ人の生き方だと思うのだ。静謐の中に込められた憤怒の形相こそ正しきを見つめ、深い悲しみから生まれる慈悲、信じる事への絶対視。人を誹らず人におもねず人を上下に見ず、邪悪を排除する力を得んが為に己に厳しくありたい。例え魔が差し鬼が生まれ出流とも四肢を踏ん張りしっかり正しき大地に立ちたい。そこに人が人であり続ける為の正がある。

だが対比させたいが為の外道達だが、生き抜く事の本質は善悪を超えるものと考えるのだ。ここに佐伯真一著「戦場の精神史」という本が在る。犬とも言え、畜生とも言え、勝つ事こそ本文である。この言葉こそ戦いの本質であろう事は疑う余地もない。勝たなければ死ぬしか選択がなければ人は何にでもなれる。

勿論、現在のように圧倒的な情報量もなく利害関係も複雑でない市井の人の正義など個人の見聞や限られた情報から生まれた小さなものなのかも知れないが、そこに古代の人の力、義、真が単純に語れるのではないかと思うのだ。簡単に言えば身勝手な解釈によるロマンなのである。


posted 久多@麩羅画堂 : 06:56 PM | comments (0) | trackbacks

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